長崎南山の想い ~朝の心より~
とある日の朝の心の最後に校長先生が次のようにおっしゃいました。
「昨日校舎のあちこちに、小さいものですがクリスマスツリーを飾ってもらいました。」と。
少し校舎を散策してみると
正面玄関、図書館、新校舎2階のステンドグラス前にツリーを発見。
イルミネーションもきれいです。
カトリックのミッションスクールである本学園にとっては、クリスマスはとても大切な行事の一つになります。
そのため、12月中の朝の心では、クリスマスツリーの歴史をはじめ、クリスマスに関する様々な話題が取り扱われました。
その中で、クリスマスが日本で受け入れられている理由に関する校長先生のお話が、印象的でしたのでご紹介いたします。
キリスト教にもいろんなお祝いが、お祭りがありますが、その中でもクリスマスだけが日本で受け入れられ広まったのは、日本の人たちが昔から神様は突然立派な髭を生やした偉大で完成した大人の姿で出現するのではなく、毎年新たに小さな無力な赤ん坊として生まれてくる方なのだと信じられていたからなのです。
そこには人間は初めから立派なのではない。
完成しているのでもない。
偉大であるわけでもない。
人間はいつも小さく幼く無力なものとして生まれ、そこから次第に大きく偉大なものとなっていくのだという人間理解が示されているのです。
ここに、長崎南山学園の教育への想いが込められているのは言うまでもありません。