さて、先々週末には、興行収入国内歴代1位の劇場版・鬼滅の刃が初めて地上波で放送されました。
多くの人の心に再び炎が灯されたことでしょう。
ちょっとネタバレになってしまいますが、この鬼滅の刃の映画後の物語のキーワードの一つとして、『青い彼岸花』があります。
そんな彼岸花(青ではないですが)が、本校のロビーのマリア像の傍に飾ってあるのを発見しました!
これはどうやら校長先生が生けて飾ったもののようです。
なぜ、彼岸花が飾ってあるのでしょうか?
南山生ならよくわかっていることと思います。
小学生、中学生の皆さん、
答えは、本校で毎朝行われている校長先生による講話『朝の心』にあります。
約5分の講話ですが、毎回、南山生(と職員)の心に炎を灯してくれます。
長崎南山学園に興味を持っている皆さん(鬼滅の刃好きの皆さんも)、『朝の心』を体験して、彼岸の意味について考えてみてください。
鬼滅の刃の物語や設定の深読みも捗ることと思います!
『2021年9月21日(火)晴れ 朝の心』
どんな国の言葉にもアクセントがあるということは、英語を習っている君ならばよくわかっているでしょう。
アクセントの位置を間違えると、せっかく覚えた単語を使っても相手が理解できないことがあります。もちろん日本語も同じで、ひらがなで書けば同じであるのに、口で言う時にはアクセントの位置で意味が変わってしまいます。
例えば「かみ↓」と言えば、私が信じている神様のことになりますが、「かみ↑」と言うと、こちらは私に不足している髪の毛のことになります。「はし↑」と言えば、英語でいう
「chopsticks」食事で使うあのお箸のことですが、「はし↓」といえば「bridge」で川を渡る時の橋になります。
ところで「ひがん」という言葉も同じように、ひらがなで書けば同じですが、「ひがん↓」と言えば、漢字では悲しい願いと書いて、例えば、悲願の初優勝などと使います。この場合の悲願は、何か悲しい願いと言うことではなくて「悲」は仏教の方でいう「慈悲」の「悲」で、それはどんな罪人、悪人であっても、是非とも救ってあげたいと慈しみと愛に満ちた仏様の心からの願いのことで、その心の底から願うという意味が残って、悲願の初優勝などというのです。
悲願とはそういう意味ですが、もう一つ悲願ではなくて「ひがん↑」とアクセントが変わると、こちらは彼方の岸、向こう岸の意味になります。漢字では彼、彼女という時の「彼」と「岸」を組み合わせて書きます。英語で彼のことを「he」と言いますから、彼岸を彼の岸と書くというふうに覚えておくと良いでしょう。
どんな極悪人でも救ってあげたいという仏様の心からの願いを「悲願」といったように、こちらの「彼岸」も仏教の言葉で、苦しみに満ちたこちらの岸から幸せに満ちた向こう側の岸、彼岸へと渡ることを、仏教では「救われた、成仏した」と言うのです。
それで仏教は、苦しみに満ちたこちら側の岸から幸せそのものである向こう岸、彼岸へと到達する。どんな人でもすべての人を、その彼岸へと連れて行ってあげたいというのが、仏様の心からの願い、悲願であるという教えなのです。
日本では向こう岸の彼岸に「お」を付けて「お彼岸」と言います。春、秋、春分の日と秋分の日がそれにあたります。明後日はその秋分の日です。この時期に君もまた心を新たにして、今の自分から旅立って、彼方を目指して歩み出しなさい。幸せを手にするために新たな自分となるための努力を惜しまずに続けなさい。
『2021年9月22日(水)晴れ 朝の心』
昨日は日本の昔からの風習である彼岸、一年に二度、春分の日と秋分の日にある「お彼岸」について話しました。
彼岸というのは彼、彼女という時の「彼」と「岸」という文字を合わせて「彼岸」と書くということ。そして、それは仏教の方の言葉で「今、自分が生きている状態から向こう岸へと渡って、新しい素晴らしい状態へと変わる。その向こう岸、彼岸に到達すること」を仏教では「救われる」というのだということをお話しました。
これは仏教ばかりでなく、いわゆる宗教といわれるものは、みんなキリスト教でも神道神社でも、今の自分自身を見つめ、捉え直して、新たな自分自身を目指して歩み続けることを教えるのです。
若い君たちに当てはめて言えば、青春は今旅立つのです。今の自分から彼方の岸を目指して、新たな自分となるための旅の途上にある、それが青春なのです。自分自身を励まし、仲間に友に声をかけ、互いに支え合いながら歩み続けるのです。
君もまた自分を諦めず、夢を諦めず、自分に与えられた力を尽くして、一途に、ひた向きに、一筋に新たな自分への歩みを続けねばなりません。
私は今、ロシア語の勉強を始めています。もう65歳を過ぎて、いわゆる高齢者の仲間入りをしていますが、また若い君たちのように体を自由に動かすこともできないし、病気もあり、目・視力もすっかり弱りましたが、ダメもとでロシアのトルストイ、ドストエフスキーという文学者の作品を是非原文で読んでみたいのです。神様が70歳までの寿命をお与えになっているなら、トルストイの「戦争と平和」くらいは読み終えているでしょう。
正面玄関のマリア様の母像の前に、今朝このお彼岸頃に咲く、その名前もそのまま「彼岸花」を生けておきました。通りすがりのついででいいので、是非見ておいてください。
余分・余計な葉っぱは一つもなく、土から一筋に茎を伸ばして、炎のような花を咲かせる「彼岸花」です。青春の只中にある君たちの姿に重なるその花の前で、君たちのためにお祈りを捧げました。一筋に一途に燃える「彼岸花」。