今日はクリスマス


12月25日、今日はクリスマス。
12月に入り、西校長が毎朝行っている「朝の心」でもクリスマスに関係するものが多かったように思います。
本日は、その一つを紹介したいと思います。

2023年12月11日(月)雨 朝の心

 今月25日のクリスマスまでの期間を、全世界のカトリック教会では「クリスマスを迎える準備の日々」として過ごしています。その準備の中にはクリスマスツリーの飾りつけをしたり、大切に思う人のためのプレゼントを用意したり、ケーキやクッキーを焼いたりすることも、もちろん含まれています。プレゼントも、ケーキも、みんな自分の手作りだった時代があったのだし、今もそうしている人がどこにでもいます。
 元々クリスマスプレゼントは「何がいいか。何が欲しいか」と聞いたり、それを売っているお店に行って「あれがいい、これがいい」と選んで、お金を出して買うものなのではなかったのです。それは例えば、母親が大切に思う子供のために作った手作りの手袋や靴下であったのです。例えば、愛する恋人のために編み上げたマフラーであったのです。自分の手で作り、自分の手で編み上げるのですから、一日や二日でできるものではありません。ひと月はかかるのです。それも子供には気づかれない様にと、子供が眠りについた後の時間を使って、こっそりと少しずつ編んで準備をしたのです。本当はその手袋や靴下だけで十分心のこもった贈り物なのですが、やがてその靴下の中にお菓子やクッキーといった甘い物を入れておけば、子供はもっと喜ぶだろういう親心が発揮されることになったのです。
 ところで、大切に思っている心、あるいは愛しているという思いは、どちらも直接目には見えないし、手に触れることもできません。直接目で見ることのできない思いと心を、目に見える形で表そうとする工夫が贈り物であり、プレゼントなのです。ですからそのプレゼントに込められた心を思う時、首に巻いたマフラーは、さらに暖かいのだし、手袋にも温もりを感じるのです。
 そして、もっと大切なことは、そのプレゼントはできる限り手渡しすべきであるということです。それはプレゼントを受け取る人と差し出す人とが同じ時に、同じ場所にいるためです。つまり何より素晴らしく、尊い贈り物は「君が、そこに、その人と共にいる」ということなのです。君が一緒にいること、共に時間を過ごすこと、実はそれが一番素晴らしく尊いプレゼントなのです。聖書はそのことを次のように教えます。「見よ、神の子がおられる。彼はあなたと共におられる。その名前はインマヌエルと呼ばれる。その名前の意味は『神、我らと共にいます』」。例え君のポケットの中にプレゼントを買うお金がなくても、君が大切に思う人と一緒にひと時を過ごすこと。それができれば、それこそが最高の贈り物なのだということです。