『ぶたのしっぽ』が九州大会で「優秀賞」を受賞
本校の生徒会表現班が,第63回九州高等学校演劇研究大会(昨年12月18日・19日の2日間,大分市のJ:COMホルトホール大分で開催)に長崎県代表として出場し,「優秀賞(二席)」を獲得いたしました。
また,南山の歴史の中で途絶えて久しい演劇の立ち上げに尽力していただいた本校の毎熊義幸先生が,この大会でも「創作脚本賞」を受賞されました。
九州大会出場が決まって以降,表現班の8名は長崎県代表というプレッシャーや不安を感じながらも,再び『ぶたのしっぽ』を上演できる喜びを胸に稽古に励みました。
演劇でなければ伝えられないメッセージが観客の胸にしっかりと届くことを願って,役になりきることに集中していました。
その成果は十分に発揮されたと思います。
九州大会を自信と誇りをもって終えることができました。
この機会を与え,導き,支えていただいたすべての方々へ厚く御礼を申し上げます。
長崎南山学園の教育目標である「人間の尊厳のために」の「ために・・・」が私たちに何を求めているのか。生徒会がこの哲学的なテーマをどう解釈し,高校生として今何を表現していくのか。語られないメッセージを伝えるために,演劇というシステムをどのように活かしていくのか。
これからの健闘を期待したいと思います。
さらに,今後の生徒会活動の中で演劇のすばらしさを発信し,文化のすばらしさを表現するリーダーとして活躍して欲しいと願っています。
・・・。
さて,演目『ぶたのしっぽ』は浦上天主堂,如己堂,神学校,聞こえてくるアンジェラスの鐘の音,そして原爆を題材として創られた芝居です。
劇中に出てくるものはすべて実際に長崎南山学園に身近なものです。
効果音として使われていた蝉やチャイムの音も南山で収録されたものです。
身近過ぎて普段は気にも留めていないけれども,忘れてはいけない歴史があります。
上演に先立ち,昨年の夏,生徒会が朗読劇「時を越えて響け!長崎の鐘」を制作し,8月9日の平和学習でZOOM配信を行いました。
『今から76年前,被爆で倒壊した浦上天主堂の瓦礫の中から掘り出された鐘は,その年のクリスマスイブの日,草木も生えないといわれた原子野に希望の鐘の音を響かせました。戦争と原爆で家族や友人を亡くし,生きていく希望も失った人たちにとって,「つらくても生きていきなさい」という励ましの声に聞こえたのです。』
この浦上の地に長崎南山学園はあります。
私たちはこの鐘の音を聞きながら毎日を過ごしています。
劇中で木虎先生が語った一言「歴史を知れば鐘の音も変わる」・・・この地の犠牲の重み,後悔,苦しみ,平和への思いを知ると,普段聞きなれた鐘の音も違ったものに聞こえます。
そして,劇の後半では「歴史は繰り返される」という一言で,今と76年前がシンクロします。
都合のいい人間の自由意志による「罪」と神の「摂理」。
神学生の永井は悲しい歴史が二度と繰り返されぬよう神に祈ります。
・・・講師の先生から「とんでもないところに連れていかれた」と講評をいただいた部分です。
ところで,この演目は永井隆著『長崎の鐘』にある『しっぽも一役』からの引用です。
「何の役にも立っていないように見えるものでも,本当はとても役に立っているものなんだよ」と劇中の木虎先生が呟きます。
その言葉をきっかけに神学生の永井とラグビー部員の愛司という相反する二人の距離は急速に縮まってゆきます。
また,ラグビーのシーンやパンを食べるだけ,シルエットだけのシーンでは,セリフがなく無駄な動きもないけれども大胆に間を取り,丁寧に演じられていました。
このシーンは永井と愛司の距離の変化がよく分かり,「無言の雄弁」と評されました。
さらに,ガムの味や風(紙飛行機)が意味するものは何だったのか。
愛司に渡されたひとひねりのひもの意味や,永井の課題とは何だったのか。
・・・語られないメッセージこそが観た者に深く考えさせ,断片として心に残るものだと思います。
演劇による表現の奥深さをこの劇を通して改めて学ばせていただきました。