6月8日(土) 国立長崎原爆死没者追悼平和会館でマイク片手に講話をする南山高校3年生の原田くんの姿があった。 「被爆者でもない僕が原爆を語る資格があるのか」 そんな言葉を冒頭で述べていた。 彼の曾祖父にあたるのは山口疆さん。 疆さんのドキュメンタリー映画の予告動画を見せてくれた。そこには、生前、「核兵器は要らない」という懇請の言葉が記録されていた。 そして、広島、長崎の二か所で被爆をした最も不幸な男として紹介された、アメリカのトークバラエティ番組も流れました。 バカにされたトークショーだったが、実態を知らない人たちからすると「笑い」に変えられてしまう現実。そこで憎しみを持ってはいけないという話。 そんなことを語る原田くんは、どんな思いで語っているのだろうか。 たくさんのエピソードを聞いたが、どの話も「痛み」を伴うものだった。 しかし、その痛みに痛みで応えてはならない。 むしろ、痛みを理解してもらい、痛みを理解することこそが、平和への第一歩なのだろう。 そんなことを考えさせられた1日だった。 高校1年生が先輩の話を真剣に聞いており、英語でも講話をした原田くんの姿に感化されていた。想いを伝える。その想いこそが大事なんだということを実感していたようだ。英語を話せることが最終目的ではない。英語を学んで、発信できる想いを大切にしてほしい。 さて、話を元に戻そう。 君には、「原爆を語る資格があるのか。」 私の答えは、「ある」だ。 誰にでも当事者になる可能性がある時代、語る資格がないとは言わせない。 もし語る資格がないとするのならば、その時は、もうすでに石と棍棒で戦う時代になっているのだろう。 “I know not with what weapons World War III will be fought, but World War IV will be fought with sticks and stones.” by Albert Einstein